2025年11月、アメリカ資本主義の心臓部・ウォール街の金と常識が敗北した。ニューヨーク市長選で、富の再分配を求める急進的な候補が勝利したのだ。
当選したのはゾーラン・マムダニ氏。「民主社会主義者」を名乗り、家賃凍結、無料バス、保育無償化を掲げる彼は、トランプ大統領から「共産主義者」と呼ばれるほどの人物だ。
ウォール街の重鎮たちは多額の資金を投じて彼の当選を阻止しようとしたが失敗した。なぜこんなことが起きたのか。
ポピュリズムは愚民の選択ではない
ポピュリズムをバカにする人は多い。「扇動に踊らされている」「経済を理解していない」「感情的な判断だ」と。
しかし、本当にそうだろうか。
私は違うと思う。ポピュリズムは「悲鳴」だ。そして、その悲鳴には理由がある。
ここ数か月、アメリカの株価は上がり続けている。S&P500は史上最高値を更新し続けた。特にAI関連企業の株価は天井知らずだ。NVIDIAの時価総額は驚異的な数字を叩き出している。
同時に、2025年10月の人員削減数は15万人を超えた。22年ぶりの高水準だ。大きな要因はコスト削減やAI導入らしい。増収増益の会社でもどんどんリストラをすすめているとのことで、アマゾンは1万4000人を削減すると発表した。
株価は上がる。雇用は減る。この矛盾を前にして人々はどう思うだろうか。
今を生きることに必死な人々
数十年後の未来を語れるのは、現在余裕がある人だけだ。
「AIは生産性を向上させる」「長期的には新しい仕事が生まれる」「ベーシックインカムで解決できる」
こういう議論ができるのは明日の生活費に困っていない人だ。
しかし、今を生きるのに精一杯な人がいる。今月の家賃が払えるか不安な人がいる。子供に十分な食事を与えるために自分の食事を減らしている人がいる。
彼らにとって未来の理想論は意味がない。明日が今より少しでも良くなればいい。現状を打破できる「兆し」が欲しい。それだけだ。
そして彼らは、従来のシステムは自分たちを助けてくれないと気づいている。
「これ以上悪くなりようがない」という論理
ここが重要なポイントだ。
最底辺にいる人々にとって、「破壊」は恐怖ではない。むしろ「希望」になる。
なぜか。それは今が最悪だと思っているからだ。
どうなっても今以下にはならないだろう。失うものが少ない。だから破壊に賭けられる。
安定した生活を送る人々にとって政治的な混乱や急進的な変革は怖い。今の生活が壊れるかもしれない。資産価値が下がるかもしれない。しかし、何も持っていない人にはその恐怖がない。
「破壊と再生」とよく言う。しかし、彼らは再生を待てない。再生が本当に来るかも分からないのだ。
ならば破壊だけでも今よりマシになる可能性がある。少なくとも現状維持よりはチャンスがある。これは非合理的な選択だろうか。違う。極めて合理的だ。
悪いのは誰なのか?
誰も彼らを責められない。悪いのは彼らではない。悪いのは彼らをそこまで追い込んだ世界だ。
AI企業は記録的な利益を出している。株主への配当は増え続けている。けれど従業員は削減されている。この富は誰のものなのか。同じ人間が数万倍、数十万倍も違う収入を得るのは普通に考えてありえない。
「努力の差だ」「能力の差だ」「リスクを取った結果だ」という人は多い。
でも本当にそうだろうか。NVIDIAのCEOは従業員の数万倍働いているのか?マグニフィセント・セブンの株主は数万倍のリスクを取ったのか?
違う。彼らが手にしているのは「資本の対価」だ。
当然ながら才覚や努力によるものであることは間違いない。しかし、初期に投資できた幸運の対価という見方もできる。社会のインフラの上に成り立つビジネスの果実だ。そしてその果実の大部分は、ごくごく少数の人々に集中している。
利他性には前提条件がある
「国の未来のことを考えろ」「バカは目の前のことしか見えない」「次世代のことを考えろ」と言う人がいる。
しかし、人は満たされて初めて他者のことを考えられる。これは道徳の大原則だ。
飢えている人に「困っている人を助けよう」とは言えない。今日を生きるのに必死な人に「50年後の日本を考えよう」とは言えない。
それなのに、現代社会は満たされていない人々に利他性を要求する。これは論理的に破綻している。もし人々が他者や国の未来のことを考えられないなら、それは彼らが悪いのではない。満たさなかった社会が悪いのだ。
あと数年で死ぬ高齢者で、身寄りもなく、守るべき孫もいない人に、50年後の日本を心配する義務があるのか。ない。誰にも彼らに犠牲を強制する権利はない。
自分のことだけを考えればいい。それは恥ずべきことではない。当然の権利だ。
再分配の遅れという犯罪
イーロン・マスクのような人々は「ベーシックインカムが必要だ」と語る。「AIで仕事がなくなるから」と。
これは至極真っ当な意見だと思う。しかし、彼らはそのための行動をしているのだろうか。
マスク氏はX(旧Twitter)で大規模なレイオフを断行した。テスラで徹底的な自動化を推進した。政府効率化省(DOGE)で福祉削減に関わっている。
雇用破壊は今起きている。でも再分配の仕組みは整っていない。この時間差が人々を絶望させている。
職を失った人はすぐに所得を失う。家賃が払えなくなる。生活が立ち行かなくなる。しかし、ベーシックインカムの制度設計には何年もかかる。政治的な合意が必要だ。法制化が必要だ。財源の確保が必要だ。
その間、彼らはどうすればいいのか。「将来は良くなる」という言葉を信じて待てというのか。今日の飯が食えない人に。
ニューヨークで起きたこと
だからニューヨーク市長選の結果は、ある意味必然だった。
人々は「現状を変えてくれるなら誰でもいい」と思った。既存のエリート層は信用できない。彼らは約束を守らなかった。
マムダニ氏は家賃凍結を約束した。無料バスを約束した。保育無償化を約束した。実現可能かどうかは分からない。財源がどうなるかも分からない。
しかし、少なくとも彼は「あなたたちの苦しみを見ている」というメッセージを発した。「エリート層から富を取り戻す」と宣言した。
それだけで十分だった。これを「ポピュリズム」と呼んで切り捨てることはできない。これは民主主義の正常な機能だ。声なき声が選挙という手段で可視化されただけだ。
誰のための経済なのか
経済は数字じゃない。人間の営みだ。
株価が上がっても、人々の生活が苦しくなるなら意味がない。企業が利益を出しても、従業員が削減されるなら何のための経済なのか。
AI革命は素晴らしい。生産性は向上する。イノベーションは加速する。これは間違いない。
しかし、その果実を誰が手にするのか。一部の企業の経営者や従業員だけか。株式を持った投資家だけか。そうではないはずだ。
「大義名分」という抑圧装置
「国あっての人」「未来ある子供たちのために我慢しろ」
こうした大義名分を振りかざす人たちが増えている。しかし問いたい。
その「国」は、今を生きるのが精一杯の人々に未来のことを考える余裕や希望を与えられているだろうか。
システムを守る義務があるのは、システムに守られている人だけだ。裏切られた側に忠誠を求めるのは支配者の論理でしかない。
もしシステムが壊れるとしたら、それはシステム自体が腐っていたからだ。そして、その責任を負うべきはシステムから利益を得ていた人々だ。
誰も彼らにこうあるべきだという理想を強制する権利はない。彼らが従うべきは、彼ら自身の幸福だけでいいのだ。
政治家がすべきこと
将来を見据える政治家は、この悲鳴に耳を傾けるべきだ。
「あなたたちのことも見ている」と伝えるべきだ。言葉だけでなく、行動で示すべきだ。
AI企業への課税を強化する。株主配当への課税を見直す。その財源で社会保障を拡充する。職業訓練を無償化する。生活の安全網を広げる。
そして重要なのはタイミングだ。
雇用破壊と同時に再分配を始めなければならない。「まず効率化、後で再分配」では遅い。その時間差が社会を破壊する。
これは慈善ではない。義務だ。
そしてエリート層にとっても自己防衛なのだ。社会が崩壊すれば、彼らの富も無価値になる。株式市場も崩壊する。資本主義そのものが信頼を失う。
序章に過ぎない
ニューヨークで起きたことは序章に過ぎない。
同じことは世界中で起きる。ヨーロッパでも起きるだろう。もしかしたら、穏健な日本でも起きるかもしれない。
「雇用なき成長」が加速すれば、ポピュリズムはさらに過激化する。選挙だけでは済まなくなるかもしれない。暴動になるかもしれない。革命になるかもしれない。
そしてもし人々がポピュリストを選び、その結果として新たな地獄を見ることになったとしても、それは彼らが自ら選んだ道だ。
専制君主制の時代なら、人々は自分の運命を他者に委ねるしかなかった。しかし民主主義は違う。たとえ間違った選択であっても、自分で選んだという納得がある。その納得こそが、民主主義が君主制に優る唯一にして絶対的な価値なのだ。
そうならないための方法は一つしかない。
今すぐ再分配を始めることだ。人々に希望を与えることだ。「我々は見捨てられていない」と感じさせることだ。そして、ポピュリズムを「愚かな選択」として切り捨てる前に、なぜ人々がそれを選ぶのか考えるべきだ。
彼らは間違っていない。悲鳴を上げる権利がある。その悲鳴を無視し続ければ、いずれ取り返しのつかないことになるだろう。

