格差がうつ病を生む構造|NHK『病の起源』から11年、何が変わったか

2014年、NHKスペシャル「病の起源」第3集を見た。テーマは「うつ病~防衛本能がもたらす宿命~」。自分自身がうつ病で苦しんだ経験があったので、食い入るように見た。

番組が提示した仮説はシンプルだった。うつ病を引き起こす鍵は扁桃体にあり、それを暴走させるのは「格差」と「孤立」だ。そして予防の鍵は「平等」と「人と人の関係」にある、と。

あれから11年。この仮説は正しかったのか。データで検証してみる。

NHKが提示した構造

番組の論旨をまとめるとこうなる。

扁桃体は情動反応の処理と記憶において主要な役割を持つ神経細胞の集まりだ。「天敵」「孤独」「記憶」「言葉」という四つの要素から刺激を受けると、ストレスホルモンを過剰に分泌する。過剰なストレスホルモンは脳の神経細胞を破壊し、脳を萎縮させる。

番組によれば、うつ病の起源はメソポタミア文明にまで遡る。狩猟採集社会では獲物を皆で平等に分け合っていた。しかし農業の発明により余剰が生まれ、余剰は富となり、富は力のある者に集中した。「持つ者」と「持たざる者」の格差が生まれ、持たざる者はストレスにさらされるようになった。

証拠として紹介されたのがアフリカのハッザ族だ。狩猟採集を続ける彼らは、どんなにお腹が空いていても獲物を平等に分ける。うつ病は皆無だという。

もう一つの鍵が「人と人の関係」。ドイツの研究では、田舎で生活する人と都会で生活する人のストレスホルモン量を比較すると、都会の人がはるかに多い。田舎では近隣の80%以上が顔見知りで互いに支え合うのに対し、都会では80%が顔も知らない他人だ。

つまり格差と孤立がうつ病を生む。平等と人間関係がうつ病を防ぐ。これが番組の主張だった。

2014年の私は「では皆が平等な社会を作ればいいのだろうが、そんなことは不可能だ」と書いた。資本主義が絶対的に強いこの世界では、平等など夢物語だと。

11年後の検証:格差は悪化した

番組の仮説が正しいなら、格差が拡大すればうつ病も増えるはずだ。データを見る。

厚生労働省の所得再分配調査によると、ジニ係数(再分配所得ベース)は2021年時点で0.381。過去最悪水準だ。相対的貧困率も悪化傾向が続いている。

同じ期間、うつ病患者数は2014年の約110万人台から2025年には推定130万人超に増加した。

格差が拡大し、うつ病が増えた。番組の仮説と整合する方向だ。

ただし、これだけでは因果関係は証明できない。うつ病の増加には、診断基準の変化、受診率の向上、高齢化、コロナ禍の影響など複数の要因がある。格差が「唯一の原因」とは言えない。しかし、格差が拡大した期間にうつ病が増えたという相関は事実として存在する。

孤立はさらに深刻化した

「人と人の関係」はどうか。こちらはより明確に悪化している。

リモートワークの普及で、職場の人間関係が希薄になった。ギグエコノミーの拡大で、組織に属さず孤独に働く人が増えた。SNSは「つながっているようで、実は孤立している」状態を生み出した。

ドイツの研究で「都会では80%が顔も知らない人」だったが、2025年の日本では、同じマンションに住む人の顔すら知らないのが当たり前になっている。

そしてコロナ禍が決定的だった。2020年から数年間、人と人の物理的な接触が制限された。「コロナうつ」が社会問題化し、孤独死も増加した。番組が警告した「孤立がうつ病を生む」というメカニズムが、世界規模で実証されてしまった形だ。

新たなストレス源

2014年にはなかったストレスも登場している。

SNSによる比較ストレスがその一つだ。他人の幸せそうな投稿を毎日見せられる。これは扁桃体を刺激する「格差の可視化装置」と言ってもいい。ハッザ族の社会には、隣の家族が自分より豊かであることを毎日見せつけられる仕組みは存在しない。

AIと雇用への不安も新しい。自分の仕事が奪われるのではないかという恐怖は、番組が言う「天敵」の現代版だろう。

気候不安は特に若者に広がっている。未来そのものへの不安は、将来の見通しが立たないという点で、貧困がもたらす不安と構造が同じだ。

ポジティブな変化もある

すべてが悪化したわけではない。

精神疾患への理解は確実に進んだ。2014年当時、うつ病は「甘え」と見る空気がまだ強かった。2025年、著名人のカミングアウトも増え、オープンに語れる雰囲気は生まれつつある。まだ十分とは言えないが、方向としては前進している。

制度面では、2015年にストレスチェックが義務化された。企業のメンタルヘルス対策も広がった。ただし形だけという問題は残る。

治療の選択肢も増えた。rTMS(反復経頭蓋磁気刺激)の保険適用、新しい作用機序の薬、認知行動療法のオンライン化、デジタル治療アプリ。薬に頼らない治療の道が開けつつある。

変わらない悪循環

しかし、最も深刻な構造は変わっていない。

2008年に池袋周辺のホームレスを調査した結果、精神疾患を抱えている割合が62.5%だったというデータがある。2015年に生活困窮者自立支援法が施行されたが、この状況は大きくは改善していない。

貧困がうつ病を生み、うつ病が労働能力を奪い、さらなる貧困を生む。この悪循環を断ち切るには、治療法の進化だけでは足りない。構造そのものに手を入れる必要がある。

しかし現実に目を向ければ、格差は拡大し続け、孤立は深まり続けている。番組が提示した「平等と人間関係」という処方箋とは、正反対の方向に社会は進んでいる。

NHKの仮説は正しかったのか

11年分のデータを並べてみた結論はこうだ。

番組の仮説、「格差と孤立がうつ病を生む」は、少なくとも方向としては正しかった。格差は拡大し、孤立は深まり、うつ病は増えた。相関は明確に存在する。

ただし、番組が提示した処方箋、「平等と人間関係」は、11年間で実現に向かうどころか遠ざかった。格差は過去最悪水準。孤立はコロナ禍で決定的になった。SNSは格差を可視化し、AIは新たな不安を生み出した。

2014年に私は「平等な社会など不可能だ」と書いた。11年後、その予測は不幸にも当たった。

では何ができるのか。正直に言えば、社会構造を個人が変えることは難しい。しかし一つだけ、番組の仮説から導かれる個人レベルの示唆がある。

「孤立」は格差と違って、身近な人間関係で多少は緩和できる。隣にいる人の異変に気づくこと。声をかけること。それは社会制度を変えるよりずっと小さなことだが、扁桃体の暴走を止めるスイッチの一つにはなり得る。

大きな構造を変えられなくても、目の前の一人に手を差し伸べることはできる。それが11年かけて私がたどり着いた、現実的な答えだ。

暮らし
執筆者
メディウス

日常生活の中で感じた世情や政治経済について綴っています。政治に関してはかつては過激な右寄りでしたが、今はさまざまな経験を経てバランスの取れた視点を目指しています。また、私自身が低中所得者層の当事者として、庶民目線での発信を心がけています。趣味は構造分析・理解、プログラミング。

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