高市自民の憲法改正は危険?改憲の前に「憲法とは何か」を考える

2026年2月8日、自民党が衆院選で316議席を獲得。単独で3分の2を超えた。これは戦後初だ。

高市早苗首相は翌日の記者会見で「憲法改正に挑戦する」と宣言し、「少しでも早く国民投票が行われる環境をつくる」と述べた。

議席を取った。だから改憲。この論理に、私は強烈な違和感を覚えている。

先に立場を明確にしておく。私は改憲論者だ。

変えるべきものは変えたほうがいい。だからこそ、今の自民党の「雑な改憲」には反対なのだ。

本当に良い改正なら、国民が中身を理解した上で支持するはず。それを省略するのは、改憲を望む立場から見ても愚策だ。

高市首相の「憲法観」は危うい?

高市首相はこう言った。

「国の理想の姿を物語るのは憲法だ」

この一言に、問題の本質が凝縮されている。

漫画『キングダム』で李斯が語った「法とは願い」という言葉がある。法律は「こうありたい社会」の表現であるという思想だ。刑法は「人を殺さない社会でありたい」という願いの表れ。それは理解できる。

しかし、憲法は違う

近代立憲主義において、憲法とは権力を縛る鎖だ。

権力は放置すれば必ず暴走する。だから「権力がやってはいけないこと」をあらかじめ定めておく。フランス人権宣言が「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と宣言しているのは、まさにこの思想の表明だ。

つまり、法律と憲法では「誰が誰に向けて語るか」が正反対だ。

  • 法律 → 国家が国民に向けて語る
  • 憲法 → 国民が国家に向けて語る

高市首相の言う「国の理想の姿を物語る」という発想は、このベクトルを反転させている。国が国民に理想を示す文書にしようとしている。それは憲法ではない。

もちろん、現代の憲法にはプログラム規定と呼ばれる「国の方向性」を示す条文もある。生存権を定めた25条がその典型だ。

しかしこれは「国民が国家に対して、こういう社会を実現しろと命じる」条文であって、ベクトルは国民→国家のままだ。

では、その「理想」を定義するのは誰か。衆院で3分の2を持つ権力者だ。権力者が自分で「理想」を書き、自分でそれを「国の姿」と呼ぶ。これは立憲主義の根幹に対する、静かだが深刻な挑戦だ。

自民党の改憲案は「2つ」ある

ここで事実関係を整理しておきたい。自民党の憲法改正をめぐっては、性質の全く異なる2つの文書が存在する。これを混同してはいけない。

①「4項目の条文イメージ」(2018年〜現在の公式提案)

自民党が政権公約と憲法審査会で提示しているのは以下の4つだ。

  1. 自衛隊の明記 ── 現行9条の1項・2項を維持したまま、自衛隊を書き加える
  2. 緊急事態対応の強化 ── 大規模災害時等に内閣の権限を一時的に強化する
  3. 参議院の合区解消 ── 人口減少で統合された選挙区を元に戻す
  4. 教育の充実 ── 家庭の経済状況に左右されない教育環境を整備する

自民党は「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの基本原理はしっかり堅持する」と明言している。

この4項目だけを見れば、穏当な改正に見える。

② 2012年の「憲法改正草案」(全面改正案)

問題はこちらだ。2012年に自民党が発表した全面改正草案には、以下のような内容が含まれている。

  • 「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変更 ── 現行憲法で厳格に解釈されてきた人権制約の基準が、時の政権が定義可能な「公の秩序」に置き換わり、制約範囲が大幅に拡大する恐れがある
  • 「個人として尊重」を「人として尊重」に変更 ── 個人の尊重から集団としての人の尊重へ
  • 表現の自由に制限条項を追加 ── 「公益及び公の秩序を害することを目的」とした活動・結社を禁止
  • 緊急事態条項 ──  内閣に法律と同等の政令制定権を付与、国民に国の指示に従う義務
  • 国防軍の創設 ── 自衛隊ではなく国防軍として再編
  • 国民の憲法尊重義務 ── 現行憲法が公務員に課している義務を、国民にも課す
  • 改正発議要件を3分の2から過半数に緩和

自民党は現在、この草案について「当時の議論の総括であり、党の公約や憲法審査会への提示は行っていない」としている。

しかし、撤回もしていない

4項目が「入口」で、その先に2012年草案の思想が待っているのではないか。この懸念は、立憲主義を理解する者なら当然抱くものだ。

実際、4項目の緊急事態条項(73条の2)は、2012年草案の第98条・第99条を原案としている。

2012年草案にあった「法律と同一の効力を有する政令」「国の指示に何人も従わなければならない」という文言は表面上消えたが、内閣に政令制定権を付与するという構造は維持されている。トーンが柔らかくなっただけで、骨格は同じだ。

もちろん、撤回していないことと積極的に推進することの間には距離がある。4項目の改正が自動的に2012年草案に繋がるわけではなく、次の改正には再び3分の2の発議と国民投票が必要だ。

「解釈」で乗り切ってきた国の歪み

ここで少し視点を変えたい。

日本国憲法は制定以来70年以上、一度も改正されていない。では変化がなかったかと言えば、そうではない。解釈の変更によって、条文を変えずに意味だけを変えてきた。

9条の「戦力は保持しない」という文言のもとで自衛隊が存在し、2014年の閣議決定で集団的自衛権の行使まで容認された。条文は一字も変わっていない。しかし意味は決定的に変わった。

これは便利だ。しかし危険でもある。

イスラム法を考えてみてほしい。クルアーン(コーラン)の原文は驚くほど短い。しかし、時の権力者や法学者が「解釈」によって意味を変え、固定化し、現在に至る。同じ原典から、全く異なる結論が導かれてきた。原典が短く抽象的であるほど、解釈者の権力が大きくなる。

憲法も同じだ。条文が抽象的であるほど、「解釈」の名のもとに実質的な憲法制定権力が時の政権に移る。国民が直接関与しないところで憲法の意味が書き換わる。

本来あるべき姿は、時代に合わなくなった条文は正面から改正手続きを踏んで変えることだ。

96条が改正手続きを定めているのは、まさにそのためだ。解釈で実質的に変更するよりも、国会の3分の2の発議と国民投票という透明なプロセスを経るほうが、民主的にもはるかに健全だ。

しかし日本では、改憲のハードルが高いがゆえに解釈変更で対応する慣行が定着し、「条文と現実の乖離」が常態化してしまった。そして今度は、その乖離を理由に「現実に合わせて条文を変えよう」と言われる。

そのとき変えられる条文の中身が、本当に「現実との整合」だけなのか。それとも権力の拡大を含むのか。見極めなければならない。

日本の改憲ハードルは「特別に厳しい」のか

「世界的に見ても改正しにくい憲法」だという言説がある。自民党もそう主張してきた。

本当か。実際には、世界のほとんどの国が硬性憲法だ。

アメリカは上下両院の3分の2の賛成に加え、全州の4分の3の州議会の承認が必要。スペインは重要事項の改正で両院3分の2の賛成後に議会を解散し、新議会で再度3分の2の賛成を得た上で国民投票に付す。議会の4分の3の賛成が必要な国も7カ国以上ある。

日本の3分の2+国民投票は、国際的に見て特別に厳しくはない。

では、改正回数の差はどう説明するか。ドイツ67回以上、フランス25回、アメリカ27回、日本0回。

この数字だけを並べれば日本が異常に見える。しかし、ドイツは東西統一という国家構造の根本的変更があり、フランスは欧州統合に伴う改正が多い。そもそもドイツの基本法は国民投票なしで議会の3分の2だけで改正できる。建て付けが違うのだ。

改正回数だけを比較して「だから日本も変えるべき」と言うのは、前提を無視した暴論だ。

ドイツが教える「正しい改憲」の作法

しかし、ここからが重要だ。

柔軟に改正を重ねてきたドイツには、絶対に変えてはならない条文がある。基本法第79条3項が定める「永久条項」(Ewigkeitsklausel)だ。

第1条 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ、保護することは、すべての国家権力の義務である。

この条文は、たとえドイツの全国会議員が賛成しても、改正できない。永久に。

なぜか。ナチスがワイマール憲法の民主的手続きを使って民主主義そのものを破壊した歴史があるからだ。多数決で人間の尊厳を否定することは、どんな状況でも許されない。ドイツはその教訓を憲法の構造自体に刻み込んだ。

つまりドイツは、「小さなもの」は柔軟に変え、「大きく重要なもの」は絶対に守る。この区別を制度として明確にしている。

翻って日本はどうか。日本国憲法には永久条項がない。すべての条文が同じ手続きで改正可能だ。だからこそ、改正手続きのハードル自体が、結果としてすべての条文を等しく守る防波堤になってきた。

もし日本で改憲手続きを緩和するなら、同時にドイツのような永久条項を導入しなければ、最も守るべきものが無防備になる。改憲のハードルを下げるなら、守るべき核心を別の方法で守る。この二つはセットでなければならない。

日本の9条は「世界標準」ではない

もう一つ、知っておくべきことがある。

「平和主義は世界各国の憲法にある」という主張がある。確かに、何らかの平和主義条項を持つ国は124カ国に及ぶ。イタリア、フランス、ドイツ、韓国。いずれも戦争放棄に関する規定を持つ。

しかし、これらの国が放棄しているのは侵略戦争だけだ。自衛戦争は放棄していない。軍隊も持っている。

日本国憲法9条が特異なのは、通説的見解において自衛戦争をも放棄し、戦力の不保持交戦権の否認まで定めている点だ。

これほど徹底した平和主義を持つ国は、事実上日本だけだ。コスタリカやパナマも軍隊を持たないと憲法に書いているが、日本のような規模と地政学的位置にある国でこの規定を維持しているのは類例がない。

つまり、他国が「小さな修正」で済ませられる安全保障上の調整は、日本においては憲法の根幹に触れる大手術になる。ここの「重み」が違う。小さなものを壊して新しくするのと、大きく重要なものを壊して新しくするのでは、求められる慎重さのレベルが根本的に異なる。

私の立場

ここで自分の立場を明確にしておく。

私は改憲に反対ではない。

国民主権と基本的人権の尊重、そして平和主義が強固に守られるのであれば、憲法は変えるべきだと思っている。70年以上前に書かれた文書が完璧であるはずがない。翻訳調で不自然な日本語、時代に合わなくなった規定、解釈で無理やり対応してきた歪み。直すべきものはある。

参議院の合区問題は、人口減少という憲法制定時には想定されていなかった事態への対応だ。プライバシー権やデジタル時代の個人情報保護は、1946年には想像もできなかった課題だ。

しかし、守るべきものと変えてよいものの区別なしに改憲を進めるのは危険だ

「改憲か護憲か」という二項対立は、もうやめたほうがいい。必要なのは、条文ごとに「何のために、何を、どう変えるのか」を具体的に吟味することだ。

そのためには、国民が憲法の意味を理解していなければならない。しかし今の日本で、それは可能か。

次の記事では、教育、歴史認識、そして「3分の2を取ったから改憲」の前にやるべきことについて書く。

後編→憲法改正の前にやるべきこと|教育と歴史の直視なき改憲は暴走する

政治・経済
執筆者
メディウス

日常生活の中で感じた世情や政治経済について綴っています。政治に関してはかつては過激な右寄りでしたが、今はさまざまな経験を経てバランスの取れた視点を目指しています。また、私自身が低年収層の当事者として、庶民目線での発信を心がけています。2級FP技能士、宅地建物取引士。

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