「ブルーカラーはAIに仕事を奪われない」
最近、こんな記事をよく見かける。ホワイトカラーの仕事がAIに代替される中、現場職は安泰だという論調だ。
しかし、これは問題のすり替えだ。
自動運転、倉庫ロボット、建設の自動化。
ブルーカラーの領域も時間の問題でしかない。問題は「ホワイトかブルーか」ではない。「80%を超えられるかどうか」だ。
80%の壁
AIは、どの分野でも80%のクオリティの仕事を驚異的な速さでこなせるようになる。
残酷な現実がある。
80%を超えられる人間は、それほど多くない。上位2割に入れる人は、定義上、全体の2割しかいない。では残りの8割はどうすればいいのか。
「スキルアップしろ」「AIを使いこなす側に回れ」
こういう言葉は簡単だ。しかし全員が上位2割に入ることは論理的に不可能だ。この問いに、誰も正面から答えていない。
では、AIに代替されないものは何か。私は二つの軸があると考えている。
第一の軸:曖昧さに耐える力
私は長い間AIとやりとりしてきた。その中で気づいたことがある。
AIは「曖昧さを保留したまま進む」ことが苦手だ。
ある記事をAIに読ませたことがある。前半は稚拙だったが、後半に向けて良くなっていった。しかしAIは前半で「質が低い」と判断し、その評価を最後まで引きずった。
人間なら「出だしは微妙だったけど、後半で見直した」ということがよくある。つまらないなと思いながら読んでいても、途中から面白くなれば評価を変える。AIにはこれが難しいらしい。
おそらくAIは文章を前から順に処理し、最初に形成した判断の上に後の解釈を積み上げていく。「まだわからない、保留」という状態を維持するのが構造上難しい。
人間は判断を宙吊りにしたまま進み、全体を見終わってから重みづけをやり直せる。この「曖昧さに耐える力」は、意識せずにやっているが、実は高度な能力だ。
この能力が最も必要とされる分野は何か。哲学だ。倫理学だ。
哲学は「答えが出ない問いを抱え続ける」営みだ。すぐに結論を出さない。矛盾を性急に解消しない。
皮肉なことに、これは近代社会が「役に立たない」と切り捨ててきた領域だ。効率化、最適化、数値化。社会はそちらへ突き進み、哲学は隅に追いやられた。
そしてAIは効率化の極致として登場した。ところが、AIが最も苦手とするのは、社会が不要だと切り捨ててきた領域だった。
第二の軸:背景の重み
もう一つ、AIに代替できないものがある。「誰がそれを言っているか」という重みだ。
私はこれまで「誰が言ったかより、何を言ったかが重要だ」と思っていた。権威主義への反抗だ。内容の正しさを自分で吟味する。それが知的誠実さだと。
しかしAI時代には、この考えを改めなければならない。
AIは正しいことを、美しいことを、説得力のあることを、いくらでも生成できる。内容だけ見れば人間と区別がつかない。そうなると「誰が言ったか」が再び意味を持ち始める。
ただし、かつての権威主義とは違う。肩書きや地位ではなく、「この人はどう生きてきたか」「どんな経験を経てこの言葉に至ったか」という、存在の重みとしての「誰が」だ。
たとえば、AIが素晴らしい歌詞を作ったとする。技術的には完璧だ。しかしそれがAIの作品だと知った瞬間、私には「浅く」見えてしまう。AIには「背景」がないからだ。
以前、若い頃の宇多田ヒカルが井上陽水の「少年時代」を歌う動画を見た。技術的には申し分ない。しかし、歌詞が描く郷愁や喪失を、彼女自身がまだ経験していなかった。「浅い」と感じた。
しかし、離婚や出産、親との別れを経験した今の宇多田ヒカルが同じ歌を歌ったら、きっと私は泣いてしまうだろう。
同じ歌でも、誰がどんな人生を背負って発しているかで、まったく違うものになる。これはAIには逆立ちしても手に入らない。
軽視されてきたもの
「曖昧さに耐える力」と「背景の重み」。
この二つに共通するのは、どちらも効率や生産性とは無縁だということだ。数値化できない。成果として測れない。
だから社会は軽視してきた。「人間としてどう生きるべきか」という問いは、経済的な価値を生まないから切り捨てられた。
そして今、AIという効率化の極致が登場し、人間に残る最後の領域が、社会が切り捨ててきたものだと判明した。
人間らしさを軽視し続けた社会が、最後にそれしか残らないと気づいたとき、すでにそれを大切にする力を失っている。
問いを変える
「AIにどう仕事を奪われないか」
この問いは、もう古い。ホワイトもブルーも、遅いか早いかの違いでしかない。80%を超えられるのは一部だけで、全員が上位2割に入ることは不可能だ。
では、80%を超えられない大多数はどう生きるのか。
正直に言う。私にはその答えがない。おそらく、今この問いに答えを出せる人間はいない。
ただ、問いの立て方を変えることはできる。
「仕事を奪われないためにどうするか」ではなく、「仕事を奪われた後に何が残るか」。「生産性で人間の価値を測る」のではなく、「生産性と無関係な人間の価値とは何か」。
人間にしかできないことは、効率的に答えを出すことではない。
答えの出ない問いを抱え続けることだ。曖昧さに耐えながら、それでも考え続けること。そして、自分がどう生きてきたかという背景を背負って、言葉を発すること。
それがAI時代に人間が人間であり続けるための条件だとしたら、私たちは今、その条件を満たせているだろうか。
